ゼネ最終章へ!の巻
さて、下記はゼネのつづきです。昨年はゼネの冒頭を飾った長銀のケースですが、今年は一番最後。 M品教授は今年のゼネをどう締めくくるのか。そして、自分はこの 1年間で本当に成長したのか。
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土曜3~5限:ゼネラルマネジメント応用研究⑬⑭⑮
3)ビデオ「銀行マンの苦闘」を観賞した。主な内容は下記の通り。
・1990年暮れ:金融政策が大幅転換。日本経済に急ブレーキ。⇒鈴木恒男氏の苦闘がスタート。
・1991年 6月:長銀の事業推進チーム(約20名)が発足。取引先に返済させることがタスク。この時点の不良債権は 1兆2,000 億円。
・1992 年3月:タスクが思うように進まない。当時の内閣は公的資金投入もやむを得ないと発言するも、大蔵省は「もう少しで景気は上がる、待った方がよい」と問題を先送りした。結局、返済が滞った 288社に対し、追加融資や人材派遣の支援を行った。⇒この時、アメリカでは日本の不良債権問題に警鐘を鳴らす声が。「問題を先送りにするのではなく、一気に解決する方が損害が少ない」との声も。
・1993年:地価の下落が止まらず、返済が滞る取引先もドンドン増えていった。
・1995年:不良債権が 2兆円を超える。⇒鈴木恒男氏は当時の頭取に対し、バブル期の経営責任を追及したが、頭取からは「その自覚はある、今すぐ責任は取れない」とコメントがあっただけであった。(その時、責任を取った役員はいなかった)
・1996年:金融ビッグバン。金融の自由化が始まり、銀行に対する指導は一変する。⇒融資の圧縮(貸しはがし)へ
・1997年:長銀迷走。スイス銀行との合併も頓挫。
・1997年 6月:金融監督庁が発足。長銀の査定結果、不良債権は4 兆3,000億。
・1997年 8月:鈴木恒男氏が長銀の頭取に就任。その 2ヵ月後、固有化へ...
・当時、日本の終身雇用を支えるのが銀行の使命とされていた。倒れそうな取引先を支援し続けることを選択したが、本当に正しかったのか?(鈴木恒男氏)
・「金を貸す=時間を貸す」⇒時間を貸せば、立ち直る企業もあったが...(鈴木恒男氏)
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上記ビデオを観た上で、 M品教授はこのケースをどう纏めたのか ?M2は明日必見です!
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