最近のトラックバック

カテゴリー

« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »

2013年5月

リコヤンとまさお番外編② ~ブルースまさお編~の巻

中学生になると、まさおは我が家にもよく遊びに来ていた。
ある日、私の弟はまさおを見て「ブルースリーに似ている、ブルースまさおだ」と言った。
すると、まさおは私の弟を見る度に「あちょー」と言いながら、私の弟のほっぺをツネりまくるようになった。
しかしながら、私の弟はほっぺをツネられながら、ゲラゲラ笑っていた。なんだったんだ、あれは?(笑)

リコヤンとまさお番外編① ~駄菓子屋編~の巻

※前回、「思い出したら書き足します!」と言いましたが、思い出しましたので書き足します(笑)今回からは「リコヤンとまさお」の番外編。短い話を6本ほど纏めましたので、まさおファンは気軽に読んで下さいpig

-----------------------------------------

小学校時代、私たちはよく駄菓子屋に行った。
小学校時代の私たちの体は、うまい棒とよっちゃんいか、あとはベビースターラーメンで出来ていたと言っても過言ではない(笑)
まさおが一番好きだったのはたしか「うまい棒のソース味」。あれは絶品だったねえ。

リコヤンとまさお特別編⑨ ~裏のあだ名編~の巻

私には今まで公表していない「裏のあだ名」がある。そのあだ名は、ブログ部企画の時にも書こうか書くまいか悩んだ上で書いていない。

http://rico-yuan246.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-a387.html

このまま闇に葬ろうかとも思ったが、どうしてもまさおに一言言いたい。まさおに一言言う上でどうしても避けることができないため、少しだけ触れることにする。

実は、地球上で私のことを「リコぱんてぃ」と呼ぶ人間が2人いた。一人はまさお。もう1人はまさおの奥さんである。
まさおは仕方ないにしても、奥さんまで...と思ったエピソードを一つ。
まさおの見舞いに行き、まさおの奥さんとまさおの母とコザオと4人で話していた時のこと。
「(奥さん)リコぱんてぃさんってマメですよね」「(まさおの母)えっ?今何て言ったの?」
「(奥さん)リコぱんてぃさんです」「(まさおの母)...ああ、そう」
目をそらす私。その視線の先で笑いを必死にこらえるおしゃれパーマ。奥さん、せめてまさおの母の前ではやめてくれ...
この日の屈辱は一生忘れまい。まさおよ、この借りは必ず向こうで返すぞ(涙)

※これにて特別編もひとまず終了。またエピソードを思い出したら、書き足していきたいと思います。ちなみに今日はまさおの誕生日。複雑な気持ちです...まさおよ、また会おう!

リコヤンとまさお特別編⑧ ~小学校大好き編~の巻

まさおは小学校時代の友人らが大好きだった。特に、バシとあっちゃんのことは好きだったと思う。
一緒に飲みに行くたびに「今日バシは?あつしは?」と聞いてきた。
ある日、まさおに「そんなに気になるなら、自分で連絡とったらいいやん」と言った。すると、
「(まさお)えっ、いいよ別に」と。なんやねん、それ。
そういえば、高校時代にもまさおに同じことを言ったことがあった。その時も
「(まさお)いいよ。俺のことなんて忘れてるかもしれないし」と。
おいおい、まさおのこと、忘れるわけないやん。あれだけ仲が良かったんだから、と思いつつ、「ああ、照れくさいんだな」とすぐにわかった。
私はまさおとバシの関係がなんとなく羨ましかった。そして、まさおの病気がわかった直後の同窓会。私は二人を引き合わせた。
同窓会の場で、二人が照れくさそうにしながらも楽しそうに話をしている姿を遠くから見ている私。なんとなくジェラシー(笑)
でも、本当に良かったと心から思った瞬間であった。

リコヤンとまさお特別編⑦ ~インリン様編~の巻

まさおが病気だとわかってから2週間後。私とまさおとコザオは「ある居酒屋」にいた。
この2週間、私も相当動揺したが、コザオもかなり動揺していたらしい。なんて心優しい奴、泣き虫コザオ。
その間、コザオはコザオなりに考え、病気についてインターネットで調べた上、それをプリントアウトし、1冊のファイルに纏めてきた。
「(コザオ)これ一応纏めてみたからやるよ、まさお」
正直、私はすごく感動した。病気の情報なんて今の時代、誰でもインターネットで調べることができる。もちろん、まさおも。でも、居ても立ってもいられず、とりあえずファイルに纏めてきたという。友達想いの素晴らしい行動じゃないか。
まさおもちょっぴり感動していた。が、最後の1枚をめくった瞬間、まさおの表情が曇ったのを私は見逃さなかった。ファイルを見ると、インリン様の大きな写真が入っていた。
「(コザオ)いやあ、でもさあ。結局のところ、インリン様じゃないかということでgood
苦笑いするまさお。ガッカリする私。ああ、コザオ、お前ってやつは...
しかし、帰り際にまさおが私の耳元で一言。
「(まさお)コザオらしいな。まあ、頑張るわ!」
今考えると、コザオ持参のインリン様も少しは役に立ったのかもしれませんね(笑)

【ブログ部企画第四十二弾】○○人の信仰

今回はブログ部企画「共通ブログタイトル」です。(※毎月26日9時は勝手に「ブログ部の日」としておりますscissors)今回で42回目!今回のテーマオーナーはつじ副部長。テーマは「○○人の信仰」です。

---------------------------------

今回のテーマは「○○人の信仰」。実は○○人と聞いてパッと思い出したのはインドネシア人やモロッコ人だったのですが、今回は「病と闘っている人の信仰」、つまり「病と闘っている人は何を信じているのか?」としたいと思います。

実は前回4/26のブログ部企画で取り上げた「強敵(とも)」は私の大親友まさおでした。

http://rico-yuan246.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-d105.html

まさおは最後の最後まで病と必死に闘いましたが、その命はついに尽き果ててしまいました。では、まさおが最後まで信じていたものとは一体何だったのでしょうか?

薬の効果?自身の治癒力?奇跡?それとも?

今となっては正解はわかりませんが、おそらく途中までは薬の効果だったのではないかと推察します。そして、「もう治らない」とわかってからの1ヶ月は「神様」を信じていたのではないかと考えています。

「(まさお)できるだけ長く生きたい。なんとかもって欲しい。なんとかしてくれ...神様...」と。

そう考えると、日本人は無宗教とよく言われますが、我々日本人の心の中には、本当にどうしようもなくなった時にすがりつきたくなるような「神様」の存在が知らず知らずのうちに埋め込まれているのかもしれませんね。これって、いいことなのかどうかはわかりませんが...

リコヤンとまさお特別編⑥ ~不精編~の巻

まさおは基本的に「不精」だった。社会人になって、まさおから連絡がきたことはほとんど無かった。
私が送ったメールに対しても、まさおの反応は遅かった。しかも、返信は極めてシンプル。
多かった返信としては「いいよ」「わかた」「おっけ」。
「わかった」ではなく「わかた」。「オッケー」ではなく「おっけ」である。舐めてんかpig
しかし、今考えると返信がこなかったことは一度もない。そう考えると、「わかた」もまさおらしくて、なかなか味のある返信だと言えないこともない(笑)

リコヤンとまさお特別編⑤ ~ワンナイトカーニバル編~の巻

まさおは歌が上手かった。30代前半は、よく一緒にカラオケに行った。まさおの18番は氣志團のワンナイトカーニバル。
「(まさお)ワンナイトカーニバル♪ファンファン♪」
30歳過ぎてのワンナイトカーニバル。よく踊ったな、トヨ&モリ&まっちょよ(笑)いまだにこの曲を聴くと、まさおを思い出す。

リコヤンとまさお特別編④ ~地元の神社編~の巻

中学時代、私とまさおはなんとかして小学校時代の友人らに会えないかといろいろ考えた。その一つが「地元の祭の時に偶然出会う作戦」である。
「よう、久しぶり。いるとは思わなかったよ」と言い、あたかも偶然出会ったかのように振舞うというしょうもない作戦である。
ある年、私とまさおはいつものように地元の祭に繰り出した。そして、なぜか駄菓子屋で買った水鉄砲で遊んでいた。
「(リコヤン)待て~」→今考えると、中学生が水鉄砲を持って追いかけっこしている姿は相当サブい...
すると、「おい!」と眉毛のないおじさんに急に呼び止められた。恐る恐る近寄ってみると、小学校時代の友人デカオだった。でも、なぜか眉毛がない。
「(デカオ)久しぶり!」「(まさお)おおっ、デカオ!お久し!でも、なんで眉毛ないの?」
デカオは中学生になってちょっと変わってしまったらしいという噂を聴いていたのだが、直接話してみた限り、眉毛以外は全然変わっていなかった。
全然変わってないデカオ。全然変わってないまさお。小学校時代の友人って素晴らしい!と感じた瞬間でした(笑)

リコヤンとまさお特別編③ ~初恋編~の巻

「(まさお)初恋のAさんに会いたい」
小学校仲間で集まった時の、これがまさおの口癖だった。ちなみに今、Aさんは海外にいるらしい。
「(まさお)Aさんに会いたい!」
今となっては会わせたかった気もするが、思い出は綺麗なままの方がいいような気がしないこともない。
いずれにせよ、私がいつかAさんに会った時に、まさおのこの気持ちを伝えたいと思う。しかし、Aさん、まさおのことを忘れてたりして(笑)

リコヤンとまさお特別編② ~キングコング編~の巻

小学校時代、私とまさおは四谷大塚の月水コースに通っていた。場所は高田馬場。私たちは毎週ワクワクしながら通っていた。なぜなら、高田馬場には超いかすゲーセンがあったからだ。その名もキングコング。超懐かしい。
ある日、私たちの仲の良い友人が「今日で月水コースをやめる」と言い出した。私たちは「塾なんて行っている場合じゃない。今日はゲーセンで盛り上がろう」と言い、授業をサボってキングコングへと向かった。
しかし、さすがに罪悪感が芽生え、2限目から授業に出ようということになった。私たちは「学校の行事で遅れたことにしよう」と口裏をあわせた。
「(監督員)お前たち、なんで遅刻した?」「(リコヤン)学校の行事です」
「(監督員)本当か?」「(まさお)本当です」
「(監督員)本当か?」「(リコヤン)本当です」
「(監督員)学校に電話して聞くぞ?」「(まさお)本当です」
「(監督員)家に電話して聞くぞ?」「(まさお)ス、スイマセン、ゲームセンターで遊んでました...」
その後、私たちが監督員にこっぴどく怒られたのは言うまでもない。しかし、まさおよ!なぜ?
「(まさお)い、家だけは...」
この時期のまさおにとって「両親」は絶対の存在。それをあらわす典型的な事件でした(笑)

リコヤンとまさお特別編① ~生徒会長編~の巻

※今回からは「リコヤンとまさお」の特別編。笑える話を纏めましたので、まさおファンは気軽に読んで下さいpig

まさおは小学校時代、なぜか生徒会長に立候補している。結果は4票。当時、全部で約300票のはずだから、獲得票率1%。かなりの屈辱。
「あれはバシにやられたんだ」と言うのが、まさおの口癖。どうやら立候補ではなく、バシに推薦されたらしい。しかし、真相は誰も覚えていない。
「(リコヤン)でも、4票って誰だろうな。」
「(まさお)バシ、ヤンコ、ヒゴヤン、あと誰だろ?」
「(リコヤン)あとはお前だろ?」
「(まさお)いや、俺はお前に入れた。お前が生徒会長になれたのも、俺のお陰なのだ。それにしても、ユキベエが3年生だったら...」
従姉妹のユキベエが2年生ではなく選挙権のある3年生だったら、もっと上位に食い込んでいたはず!というのがまさおの言い分である。
「(まさお)ユキベエが...バシが...」
一体誰が悪いのか?この決着はいまだについていない(笑)

リコヤンとまさお⑨ ~まさお旅立ち編~の巻

5月14日:まさおのお通夜に参列した。お通夜では受付を担当した。お通夜の間はバタバタして、悲しむ余裕など無かった。お通夜の後、地元でまさおを偲ぶ会を開催した。総勢19名。偲ぶ会とは思えないほどみんなで盛り上がった。決して「しんみり」ではない会。我々らしくて良かったのでは?(笑)宴は午前2時過ぎまで続いた。でも、私は全く酔えなかった。
5月15日:まさおの告別式に参列した。今度は受付を友人に代わってもらい、式に参列した。約1時間の間、私はまさおと心の中で対話し続けた。まさおの写真を見た。すごく良い写真だった。写真の中のまさおは何か言いたそうだった。「まさお、何か言いたいことがあるのか?」
「お前、泣くなよ、気持ち悪い」とまさおに言われた。「しかし...お前とは腐れ縁だよな」とも言われた。その瞬間、私はかけがえのない大親友を失ったことに改めて気づいた。私の右目からはたくさんの涙がこぼれ落ちた。
いよいよ、まさお旅立ちの瞬間がきた。私は手をあわせ、まさおにそっと呟いた。「私は小学校時代に貴方からライバルと競い合い、切磋琢磨しあうことの素晴らしさを学びました。本当にありがとう。今はゆっくり休んで下さい。勝負の続きは向こうでやろう」と。

リコヤンとまさお⑧ ~見舞い編~の巻

4月30日:友人と2人でまさおの見舞いに行った。まさおは眠っていた。その横でまさおの母が涙を流しながらまさおの体をさすっていた。本当に眠っているだけなのか?これを眠っていると表現していいのか?私はこの2日での変わりように肩を落とした。
5月3日:朝早く、まさおの奥さんから是非見舞いに来て欲しいとの連絡があった。その後、まさおから空メールが届いた。私は友人と3人でまさおの見舞いに行った。まさおは目を開けていた。が、言葉を発することはほとんど無かった。ただベッドの周りを走り回る娘たちに対して一言「や~か~ま~し~い~」と言った。私たちは笑った。そして、「まだ元気だな」と声をかけた。
5月5日:友人と2人でまさおの見舞いに行った。まさおは目を閉じていた。もう言葉を発することもなくなったという。私たちが帰る直前、まさおは目をカッと見開いた。私たちは「また来るわ」と言って、まさおの手を握った。まさおの手はとても冷たかった。結局、生前のまさおに会ったのはこれが最期となった。
5月8日:仕事中、いきなり携帯が鳴った。画面を見るとまさおからだった。電話に出てみるとまさおの奥さんだった。私は入社して初めて仕事中に泣いた。

リコヤンとまさお⑦ ~激変の4月編~の巻

4月9日:久しぶりにまさおにメール。「GWに帰省するぜ。10連休だぜ」と。すると、まさおから返信が。「おす。ここ数日、ちょっと体調が思わしくないんだよね。また近くなったら連絡してくれ。体調よければ会いましょう」と。ん?ちょっと心配。
4月19日:10日ぶりにまさおにメール。すると、まさおから返信が。「退院したのだが、体調が優れない。飲みは難しそうなので、暇なとき昼間にでもうちに来てくれ」と。おいおい、大丈夫か?
4月28日:GW休暇2日目。「今から帰省するわ。いつ都合がいい?」とまさおにメール。すると、まさおから返信が。「いつでも大丈夫だよ。どうせ寝たきりなので」と。東京に到着後、すぐにまさお宅を訪問した。まさおはパジャマ姿でソファに座っていた。私は唖然とした。まさおは2ヶ月前の姿とまるで違った。いつもなら「元気そうだな」と声をかけるのだが、この時ばかりは何も言葉が出なかった。まさおは「か細い声」でいろいろ話してくれた。今となっては何を話してくれたか全く覚えていない。ただ、まさおに笑顔が無かったことだけは鮮明に覚えている。私はこの時「覚悟」した。

リコヤンとまさお⑥ ~突然の呼び出し編~の巻

昨年夏、「お前には話しておきたいことがある」とまさおに呼び出された。こんなことは初めてだった。私は嫌な予感がした。
最初は私から切り出した。「離婚したのか?」「リストラにあったのか?」「子供が病気なのか?」「借金でもできたのか?」と。
まさおは私の予想を遥かに越えることを告げてきた。それを聞いた瞬間、私は大きな石で頭を殴られたような衝撃を受けた。「マジか、それ?」
続けてまさおは言った。「今まで苦しいことやツラいことからは逃げてきたけど、今回は子供たちのために思い切り闘うわ」と。
そして...「俺さあ、お前には感謝してるんだわ。ありがとう」と。「絶対に博士号取れよ。応援しているから」と。
私は「なんだ、そりゃ?」と笑い飛ばした。「それより、頑張れ!」と言った。照れくさかったというより、「最期の言葉かも」という空気に耐えることができず、とにかく誤魔化した。
それから半年間、私たちは定期的に会った。まさおはいつも元気だった。私たちは、会うたびに他愛もない昔話で盛り上がった。

リコヤンとまさお⑤ ~ジャカルタ編~の巻

私は大学を卒業し、関西の会社に入社した。そして、入社2年目の時、インドネシアのジャカルタに1年間出張した。はじめての海外勤務。当時の私は激務と寂しさで心身ともにボロボロだった。
そんな時、夏休みを利用してまさおはジャカルタに遊びにきてくれた。なんでも出発前日までまさおは高熱があったらしい。でも、頑張って来てくれた。私はとても嬉しかった。
私はまさおをどこに連れていったかは覚えていない。ただ、ある晩に一緒にカラオケに行ったことは今でも鮮明に覚えている。まさおは歌が上手かった。本当に上手だった。まさおがジャカルタで歌ったのはイエモンのJAM。私は今でもこの曲が大好きだ(笑)

リコヤンとまさお④ ~大学時代~の巻

私は指定校推薦で目指していた進学した。一方、まさおは一浪して大学に入学したが、そこは目指していた大学とは決して言えなかった。この時点で、私たちの立場は逆転した。が、私にとって、そんなことはもうどうでもよかった。
私たちは大学時代も定期的に会って遊んだ。特にボーリングはよく行った。まさおはフックボーラーだった。まさおはハイスコアには興味が無かった。まさおはいかにボールを曲げるか?を追求していた。
私たちは恋愛の話もたくさんした。まさおは私の恋愛話をたくさん知っている。私もまさおの恋愛話はたくさん知っている。でも、この場では言えない。それが、私とまさおの男と男の約束だから(笑)

リコヤンとまさお③ ~年賀状編~の巻

私とまさおは別々の中学校に進んだ。合格発表以来、私たちの間は少し気まずくなっていた。だから、私から連絡することはなかったし、まさおも連絡してこなかった。その間、私は部活と勉強に没頭した。
中学1年の正月、まさおから年賀状が届いた。すごく嬉しかった。小学校時代と同じ汚い字でこう書いてあった。「ヒマなのだ。遊んでやってもいいのだ。」
私はすぐにまさおに電話した。そして、それから私たちは定期的に遊ぶようになった。あの時、まさおが年賀状をくれなかったら疎遠になっていたかもしれない。そう考えると、あの年賀状は宝物だ(笑)

リコヤンとまさお② ~中学受験編~の巻

私はまさおに負けじと影で必死に勉強した。その甲斐あってか、小学校卒業時にはまさおにだいぶ近づくことができた。
私とまさおは同じ中学校を受験した。受験当日、「一緒に通えたらいいね」と声をかけあった。受験番号は1番違いだった。私はまさおの背中を見ながら必死に問題を解いた。
合格発表当日、母よりまさおの番号はあったが、私の番号は無かったと知らされた。その瞬間、私は自分自身に劣等生のレッテルを貼った。これが私が人生はじめて経験した「挫折」だったかもしれない。

リコヤンとまさお① ~四谷大塚編~の巻

私は小学校4年から四谷大塚に通った。友達は誰もいなかった。正直寂しかった。ある日、郵送されてきた成績書を見たら、成績上位者に知っている人の名前があった。それがまさおだった。
まさおは優秀だった。私は四谷大塚では1回も勝てなかった。でも、小学校でまさおの優秀さはあまり知られてなかった。小学校では私の方が優秀だと、みんな勘違いしていた。
四谷大塚は蒲田午前クラスだった。まさおも一緒だった。帰り道にまさおと一緒にみたらし団子を食べて、ビルの屋上でゲームするのが唯一の楽しみだった。私たちはドンドン仲良くなっていった。
ある日、四谷大塚に行く前、鵜の木で立ち食いそばを一緒に食べた。まさおはたぬきそばを食べた。食べ終わり、電車に乗ってしばらくすると、まさおはうずくまり、いきなり吐いた。私たちはそのお好み焼きの上にティッシュを敷き並べ、ダッシュで逃げた。これが四谷大塚時代の一番の思い出だ(笑)

落ち込んでいる暇はない!の巻

この数日、いろいろありましたが、落ち込んでる暇はなく。連休明けからトップギアの状態が続いています。
こういう時はどうすればいいのか?一つ一つ潰していくしかありませんね(笑)明日は非常勤講師、明後日はゼミと続きますが、とりあえず今日やるべきことを片付けたいと思います。

混沌とした頭の中を整理せよ!の巻

GW休暇明け2日目。現在文字起こし中です。しかし、文字起こしって時間がかかりますね(汗)
今週末は久々にゼミがあります。それまでになんとかこの混沌とした頭の中を整理したいと思います!

生産性向上を愚直に進めてきた企業の夜明けは近い!の巻

GW最終日。10連休もアッという間ですね(笑)さてさて先日、某大会で東大F本先生の講演を聴いてきましたので、その内容をアップしたいと思います。

---------------------------------------
1.ものづくり組織能力と製品・工程アーキテクチャのマッチングが重要。アメリカはドラッカーが言う野球型の組織能力。分業が進み、各人の専門性がハッキリしているのが特徴。野球型の組織能力はデジタル家電のようなモジュラー型製品と相性がよい。一方、日本はドラッカーが言うサッカー型の組織能力。各人の多能工化が進み、チームワークがよいのが特徴。サッカー型の組織能力は自動車のような摺り合せ型製品と相性がよい。
2.日本に何を残すのか。マザー工場を残すという考え方がある。ただし、レッスンプロ的なマザー工場は必ず潰れる。戦うマザー工場でないとダメ。そのためには生産性を上げ続ける必要がある。あと生産性の「のびしろ」も重要。のびしろは正味作業時間比率で判断できる。正味作業時間とは、本当に付加価値を生んでいる時間。トヨタは50%近い。他の企業は10%以下が多い。でも、「正味作業時間比率が小さい=のびしろが大きい」という意味なので、落胆する必要はない。前向きに。
3.企業は10年~20年のスパンで考えないとダメ。賃金が安いからすべて海外へ、というのは安直すぎる。現に、新興国との賃金差は急激に縮まってきている。最後は生産性の強さがモノを言う。生産性向上を愚直に進めてきた企業の夜明けは近い。

--------------------------

F本先生の最新の考えを学ぶことができ、非常に有益でした。考え方は極めてシンプル。これが「分析のパースペクティブ」ってやつですね(笑)

なぜ日本の半導体は負けたのか?の巻

GW8日目。あまり休めていませんが、今回は多くの人に会うことができ、非常に有意義です。あとはもう少し研究を進めないといけませんね(笑)さてさて、下記は4月27日のゼネ講義報告の続きです。
-------------------------------------------------
土曜3~5限:ゼネラルマネジメント応用研究⑩⑪⑫
3)ルイス・ガースナー著『巨象も踊る』に関する全体討議が行われた。主な内容は下記の通り。
 ・ガースナーがつかんだ風は何か?ガースナーがつかんだ風も、やはりグローバリゼーション。ガースナーは、世界を統一するためのプラットフォームを提供する会社へ舵を切った。
 ・ガースナーの前々職に注目。アメリカンエクスプレスは世界有数のIBMの顧客であった。したがって、ガースナーはIBMの出来の悪さを知り尽くしていた。IBM復活の最大の功労者は、ガースナーをCEOに指名した社外取締役たち。
4)三品和広著『戦略暴走』に関する全体討議が行われた。主な内容は下記の通り。
 ・なぜ日本の半導体は負けたのか?
 ・何のためのDRAMかを読み違えた。日本企業にはマーケッターがいなかった。当初、スーパーコンピューター用を想定していたが、Windows95の出現により、PC用の需要が爆発的に増えた。PC用は樹脂製でOK。スーパーコンピューター用では仕様が高すぎた。
 ・半導体敗戦とは言えないのでは?材料レベルでは、日本企業が儲かっている。儲かっている企業はステルス。決して自分からは見せない。
 ・どこで儲かるかが変わってきた。黒子にならないと儲からない。セット商品では儲からない。そのためには立地を見直す必要がある。また、リソースの機動性を上げる必要がある。
 ・そもそも半導体をやるべきだったのか?1980年代、日本では半導体は極めて戦略性の高い事業と言われていた。でも、これが間違いだった。この世論にみんな踊らされた。少なくとも、設計だけやるという選択肢もあったはずなのに。
-------------------------------------------------
昨日は出席していないため、これにて今年のゼネも終了。今年は昨年とほぼ同じ内容だったような印象を受けました。M品先生の考えもだいぶ固まってきたのかな?できれば、来年も受講したいと思っています。さあ、次は博士論文。気持ち切り替えて頑張りますよ!(おりゃpunch

ぐるぐるぼーいず?の巻

GW6日目。GWに入り、日中は研究、晩は飲み会という生活を続けていますが、さすがに疲れてきました(笑)さてさて、下記は4月27日のゼネ講義報告の続きです。
-------------------------------------------------
土曜3~5限:ゼネラルマネジメント応用研究⑩⑪⑫
2)「The google boys」の映像を観賞した。印象的だった内容は下記の通り。
 ・Googleは「最高級の自白マシーン」と言える。ユーザーは「何に興味があるか」を自白してくれる。
 ・Googleは売上高3兆円の会社。利益はまともにやれば2.5兆円は出る。
 ・では、Googleは何で儲けているか?例えば、サッカーという言葉を検索したら、サッカーに関連する広告を自動的に出すというシステムをGoogleは作った。そして、日常使用するすべての言葉が「1クリック〇円」という入札にかけられている。つまり、Googleには1クリック〇円という広告収入が自動的に入るようになっている。
 ・Googleは広告のあり方を劇的に変えた。これからは企業が顧客を見つけなくてもよい。顧客が企業を見つけてくれる。
 ・インターネット革命は始まったばかり。この風をどのように捉えるかが極めて重要。
-------------------------------------------------
つづく

« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »